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日 時 |
「生きる知恵」〜現代の名僧が語り継ぐ珠玉の法話集〜
今年もよろしくお願いします。
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2008/01/05 10:20 |
残夢整理!
今年もあと15日となってしまいました。
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2007/12/16 19:53 |
伊豆紀行
以前山と渓谷社の「美景」に掲載した原稿です。
私の好きな風景です。
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2007/05/21 19:18 |
アツモリ草が咲いた!
たった一株、庭の野生ランが咲いた。
家人が花屋さんで買ってきた挿し木である。
これは中国産のアツモリで、それでも育て方が難しいと言われていたので、写真通りの姿に咲いたのが嬉しい。野生のものは採取禁止になっています。
図鑑に拠れば
ラン科アツモリソウ属
開花4〜5月
草丈15〜30センチ
源平合戦の源氏方、熊谷直実、平家方、平敦盛にちなんで、名付けられ日本全国の雑木林に自生しているのが見られます。なかでもアツモリソウは趣味家がとりこになる野生蘭の王者と言われます。
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2007/05/06 10:41 |
茂吉の故郷・山形県上山市
歌人斎藤茂吉は上山市金瓶で生まれた。
そこに斎藤茂吉記念館が建っている。
そして記念館の背後には名峰蔵王連峰が横たわるように聳えている。
茂吉は
陸奥をふたわけざまに聳えたまふ
蔵王の山の雲の中にたつ
と詠んだ。
記念館から見るその蔵王連峰の姿が殊更美しい。
スキーで賑わう蔵王連峰は、熊野岳を主峰に、刈田岳、地蔵岳、三宝荒神岳などを総称した言い方で、昔から信仰の山として崇拝されてきた。
茂吉が愛した上山市は、JR奥羽本線上山駅を中心に広がっている。
城下町と...
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2007/04/28 18:14 |
輪島に思う
もう8年も前になるだろうか。
私は雑誌の仕事で輪島を訪ねた。
スナックで町の人たちとカラオケに興じた。
その輪島が地震で被害にあったのを知り心を痛めている。
早く元のような活気のある町に復興して欲しいと願う。
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2007/04/05 09:05 |
成人式に思う/最澄「願文」
1月8日は成人式。
15日で馴染んできたものにはピンとこない日である。
成人式で思うのは、同じ20歳でありながら、約束されたエリート僧への道を捨て、比叡山に籠もり求法の道を歩んだ天台宗の開祖・伝教大師最澄の「願文」である。
これが20歳の青年が書いたのだろうかと、その純粋な決意に驚く。
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2007/01/08 19:40 |
初夏の庭に咲く草花に
梅雨時の花はどこか清楚で優しい。
「枕草子」に、
草の花は、撫子、唐のはさらなり。大和のも、いとめでたし。女郎花、桔梗。朝顔。刈
萱。菊。壺すみれ。
とあります。
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2006/06/18 09:21 |
読み忘れた本の数々なれど・・・
最近やたら本ばかり読んでいる。
明日にも読めなくなるような、人生の残務整理のような読み方である。
いまさら読んだってどうにもならないよと醒めたもう一人の自分が呼びかける。
確かに今更ではあるが読んでこなかった消化不良感はいまも残っている。
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2006/05/22 08:21 |
読み忘れの記/連載中
新刊書店は漫画本やら経済書、雑誌などが幅を利かせて、文芸書や美術書などは押され気味である。
店頭に並ぶのもごく僅かの期間で、そのとき買いそびれてしまうと、まず手に入らない。
と言うことで、 最近は古書店を巡ることが多い。
そこで思いがけない本に出会ったりする。
しかも値段は定価の20%くらいである。
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2006/04/20 17:49 |
ささやかな春の小さな風景
庭の花水木とエビネが咲いた。
黒百合らしきのが青い蕾をもっている。
家人は黒百合だと楽しみにしている。
昨年夏に引っ越して、春の花は初めての対面である。
群生すれば見応えもあるが、どれも一株で見付けるのが難しい。気が付かないと花弁を落としている。
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2006/04/20 11:58 |
花を眺めて日が暮れて
朝、花弁を閉じていた庭のチューリップが日が昇るに合わせて開いていった。
気まぐれに携帯カメラで撮影してみた。
足の痛さを忘れさせてくれた。
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2006/04/08 17:49 |
美術館は疲れたときのオアシス
最近、よく美術館に行く。
画家の画業に触れる喜びもあるが、ほっと落ち着く雰囲気がたまらなく魅力だ。
のんびり作品に惹き寄せられ、じっと佇み、近寄ったり、遠くから眺めたり、
それも絵の好きな友だちと一緒なら尚楽しく、一人でも孤独にならず、
楽しみ方は様々である。
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2006/04/06 12:16 |
あなたはどんな時代を生きてきましたか〜昭和歌謡私史〜
ふと思い出す歌がある。
メロディが蘇ってくる。
歌詞が浮かんでくる。
そして、その時代に自分が何をしていたのか思い出す。
下記の歌謡曲はほとんど私がカラオケで歌える楽曲である。
仕事で覚えた歌で、覚えているもんだなと思う。
人前で歌ったのは「北国の春」であった。
中国に取材で行ったとき中国で流行っていた。
中国の人に教えて貰った。
以来、気に入ってカラオケで歌うようになった。
平成になってからの歌はもう私の興味を離れている。
http://www5d.biglobe.n...
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2006/03/30 07:35 |
休日は公園で
足が痛くても公園くらいは歩けるだろうと孫を連れて出かけた。
昨日は友だちに誘われて利根川近くの桃を見に行ったが、散策程度に歩くのには不自由しなかった。多少は薬が効いているのかしらと思っている。
さて、出かけに、我が家でたった一本の辛夷がつぼみから膨らんで花弁が僅かに顔を覗かせていた。
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2006/03/26 13:24 |
足の動脈硬化とリハビリ
3月6日のことであった。
朝、出勤途中のこと、いつものように新宿駅から会社までおよそ1q、
歩いて15分くらいの距離であるが、300メートルほど歩くと、足の先端に感覚がなく、痺れたような状態で、歩けなくなってしまった。
休み休み、やっとの思いで会社にたどり着いたが45分はかかってしまった。
帰りはもっと酷く、下肢全体が痺れたようになり、二度も喫茶に入って休んだ。
翌日は自宅から私鉄駅までバスで出て、さて電車に乗ろうとしたのだが、階段を上るのも辛く、自宅に引き返した。
その時、ふっ...
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2006/03/17 21:13 |
日本脚本家連盟創立40周年
日本脚本家連盟から創立40周年の記念品が届いた。
私が入会したのは昭和45年(1970)だからもう35年になる。
連盟に顔を出したことがないのでどんな活動をしているのか、定かではない。
フリーの作家だったから会員というのは唯一の職業を表す肩書きのようなもので、
そのことで得するようことはない。
テレビの台本を3000本くらいは書いてきたけど、放送が終われば泡と消えてしまう。
録画しておいたビデオは残っているが見直すことはない。
不思議な仕事であった。
http://www...
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2006/03/04 12:10 |
段ボールから昔々の物語
引っ越しして半年余りが過ぎた。
段ボールを整理していたら若い頃の仕事の痕跡がひょっこり姿を現した。
眺めていたら当時の事が浮かんできた。
道を誤ったか。この道で良かったのか。
好奇心で走ってきたこの道は辛くもあり、楽しくもありだった。
そして、いまもまだ走っている。
速度は遅い。
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2006/02/13 08:04 |
のっぺでござる
新潟に行ったとき、郷土料理の代表格に出会った。「のっぺ」である。
暖簾を潜ったのは古町の小料理店「まつい」。
ガイドブックでのっぺを食べたくなり、店を訪ねた。女主人が一人で切り盛りしていた。
さて、のっぺであるが、写真の通り、材料は、里芋・人参・筍・コンニャク、ごい(黒くわい)・干し椎茸・干し貝柱・なめこ・蒲鉾・銀杏・とと豆・(イクラ)・絹サヤ・オクラ。
ダシは干した椎茸と貝柱、昆布、鰹でとったダシに、酒、みりん、塩、醤油の調味料で味を調える。らしい。と言うのも年期がはっていないとそ...
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2006/02/12 18:15 |
雪は心を惑わす
東京は雪。
一日中降り続くらしい。
室生犀星に
「ゆきふるといひしばかりの人しづか」
という句がある。
犀星はこの雪を誰と見たのだろう。
障子の外は雪。
静寂の中から人の足音だけが響く。
「雪ね・・・」
声をかけたのは女性、であるほうがこの場面では情緒がある。
隠れ家であるのか、温泉旅館の一室なのか。
二人はまだ布団の中。
北国の豪雪を思えば情緒などとは言っていられないが
雪というのは時として人を危うい世界に誘い込む。
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2006/01/21 09:38 |
2005年の忘備録
2005年は元気を貰った年であったような気がする。
体調不良で胃潰瘍に悩まされ、脚力が極端に衰えたが、たくさんの刺激を貰った。
人生で忘れてきたものを蘇らせる時間がいくつもあった。
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2006/01/02 13:59 |
蘇生への予兆 あるいは記憶の彼方へ
出会いの確率というのは予測不可能な数値であって、人はそれを運命的とか、前世の因縁とか、偶然とか、あれこれ理屈をつけてみるが、どれもあやふやで、不確かなものである。
男と女の仲というのも、過去の記憶を辿ってみると、いくつもの出会いの機会があったはずなのに、きっかけさえなく、「縁がなかったのだ」と理由のない納得に終わってしまうものだ。
出会いとは、無限の縦糸と無限の横糸とが、しかも、それぞれのたった一本だけが交差する不可思議な現象であるのかも知れない。だけど、交差した縦糸と横糸が互いに絡み合...
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2006/01/02 10:10 |
「調息」という言葉は
もう10年も前のことです。
信州別所温泉にある天台宗の常楽寺を訪ねた時のことです。
半田孝淳住職にお目にかかりました。
北向観音の境内をお借りして渡辺貞夫さんのジャズコンサートをハイビジョンで生放送することになっていましたので、 その交渉にお伺いしたのです。
常楽寺は、平安初期、比叡山の慈覚大師が信州に下向されたおり、この地を訪れ、開かれたと伝えられるお寺で、常楽寺がお守りしている北向観音は、寺伝によれば、慈覚大師が発見された温泉をお祀りしている霊場です。
ご本尊の観音菩薩が善光寺の観...
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2005/12/31 16:18 |
さよなら日本国有鉄道
組織は長く続くと様々な弊害が出てきます。マンネリ、停滞、自惚れ、欺瞞、言い訳。そして栄光の日々に輝いていた誇りは、埃だらけの優勝盾のように飾り棚の隅っこに倒れかかっています。2005年はJR事故、証券取引所のコンピュータ事故、JALの整備・点検ミスなどなど。誇りと自信を失った結果招いた不祥事。私自身の自己反省を込めて、国鉄(日本国有鉄道)が消えた年に書いた詩文を。
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2005/12/31 10:33 |
同人誌「回帰」宣言文
振り返れば恥ずかしくなるような言葉の羅列です。
若さというのはこうした言葉さえ人目を憚らず吐露することが出来るのですね。
そうして、それが恥ずかしいとも思わなくなった老いた自分を発見しています。
【回帰宣言文】
『我々は、自己のうまざる救済と、自我の絶えざる変革のために「回帰」を創刊した。
我々は昭和20年8月15日の荒廃の中に立ち帰るのではなく、8月15日から現在までの軌跡の中にこそ、我々自身の行動の原点を求めるべきであろう。それは峻烈な殺戮と利潤追求が、我々自身の変革の志さえ捲...
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2005/12/30 20:16 |
悔恨とは人生のツケ
本箱の隅から古い同人誌が見つかった。
昭和42年(1967)12月20日。第2号。
24歳の頃、大学を卒業して福島に帰った友人と二人で出した同人誌である。
60年安保の熱い情熱は既に消えていた。
若者を煽った分け知りの文化人はスルリと体制側に居場所を見付けていた。
私と言えば、浅草の軽演劇にとっぷり浸かっていた。
六区にあった浅草松竹演芸場の常打ち劇団「デン助劇団」の駆け出し座付き作家。
テレビのAD(アシスタントディレクター)をようやく卒業して、放送作家の道を歩き始めたころであっ...
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2005/12/30 15:05 |
中城ふみ子のこと
31歳の若さで世を去った歌人・中城ふみ子。乳癌でした。
画像は平凡社ライブラリー「中城ふみ子歌集」です。
この中には中城ふみ子の生の叫びが凝縮されています。
歌壇に衝撃を与えた歌人について書いてみようと思ったが、書く言葉が浮かんできません。
響いてきた作品のいくつかを。
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2005/10/06 19:44 |
万葉集の女性たち
万葉集の女性たちの恋について私流に訳してみました。拙訳ですが工夫しました。
これほどに恋焦がれる一途な思いを現在人は忘れてしまったのかもしれません。
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2005/09/23 16:17 |
故郷の風景
私の故郷は三重県宮川村という寒村です。
そこに中学1年の夏まで暮らしていました。
伊勢湾に注ぐ宮川の源流に近いところです。
親戚はまだいますが、幼い頃可愛がってくれた人たちは他界しました。
その宮川の支流である栗谷川の中程が生家のあったところです。
自宅を取り巻くまわりの山々を眺めて暮らしていました。
殆ど帰ることのない故郷ですが、年とともに不思議な思いをします。
子供の頃に眺めていた山がとてつもなく高い山で、尾根の峠まで毎年遠足に行くのですが、いつも、来年は登りたくないと思いな...
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2005/09/18 07:21 |
花の寺に思うこと
京都には花の名所がたくさんあります。
丸山公園の桜が良い、南禅寺の紅葉がいい、三千院の紫陽花がいい、光悦寺の紅葉がいい、銀閣寺のつばきがいいなど、ひとそれぞれです。
さて、観賞される花にしてみればいい迷惑で、花そのものはそれぞれに美しく、輝いています。
花の善し悪しにさほどの違いがあるわけでないのに、どこそこの花は見事だと、勝手な優劣をつけては悦に入っているだけではないでしょうか。
どの花も、角度をちょっと変えて見れば、その場所の風景にとけ込んで、見事に調和を保っているものです。
何...
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2005/09/17 17:52 |
中山道を歩く<11>下諏訪宿
諏訪大社のお祭りは全国的に知られた勇壮なもので、とにかく荒っぽい。神様というのは結構荒っぽいものが好きなようである。私の中山道の旅もここで終わる。最後の写真は何でまとめるか、迷ったが軽井沢で感じた風を紹介したいと八島ヶ原湿原の写真を選んでみた。
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2005/09/16 18:59 |
中山道を歩く<10>和田宿
和田宿へは一度来てみたかった。と言うのも、考古学好きな和田峠の黒曜石に惹かれていた。日本列島のへそのようなところに当時最先端の技術があったことに驚く。このあたりには、不思議と思える貝殻などの発掘もあり、日本列島各地から、黒曜石を求めて和田峠にやって来た証であろう。中山道などよりはるか昔、和田へは黒曜石の道がつながっていたのである。
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2005/09/16 18:48 |
中山道を歩く<9>芦田宿
安藤広重描く中山道の風景がいまも残っているというので、楽しみにしていた。笠取峠の松並木は町の保存も進んでいて、歴史の一こまを体験できるのが嬉しい。広重がこの風景を選んだのは、宿駅にはそれほど画材になるような風景が無かったのかも知れない。
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芦田宿
茂田井間の宿を過ぎると、やがて道は下りになった。芦田川の流域の水田地帯を下り、...
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2005/09/16 18:27 |
中山道を歩く<8>茂田井間の宿
道は緩やかな上り坂である。その左側を用水路。澄んだ水が流れている。右手に酒林を吊った造り酒屋。白壁の脇で絵を描いている人がいたりして、画題には事欠かない風景である。この道は路地がいい。ここで私は不思議な縁と出会った。私の尊敬している比叡山の探題さんと大沢酒造のご隠居さんは昵懇の仲だそうで、そういえば、この茂田井から北へ向かうと信州塩田平である。そんな近い距離だったのかと驚いたが、地図で見ればそれほど遠い距離でもなく、通りすがりの旅人には遠いと錯覚させただけなのであった。
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2005/09/16 17:56 |
中山道を歩く<7>望月宿
信州には道祖神が多い。道祖神とは境を守る神であり、道を守る神であった。それが息災や縁結びの神となり、夫婦和合の神様となっていったそうである。男女2神を刻むものが多い。信州別所温泉に行ったときも夫婦道祖神を見た。この男女は手を繋いでいた。江戸時代に男女が人前で睦まじくしている姿は、庶民は武士ほど肩肘張ったのもではなかったのだろう。道祖神巡りをしている里歩きの人たちも多いという。
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2005/09/16 09:21 |
中山道を歩く<6>塩名田宿
東海道では大井川、中山道では千曲川。ともに暴れ川として知られていた。いまでこそ水嵩は低く、簡単にわたれそうであるが、水量の多い昔は、ひとたび水が氾濫すると、何日も両岸の宿で待たされることになる。そこで考え出されたのが舟を繋いで板を並べた橋である。その舟を繋いだのが塩名田側に残る「舟つなぎ石」であるが、いまは、河原に、まるで廃棄物のように置かれている。巨石のまわりは雑草が生い茂り、堤防の隅に建てられた説明文がなければ、まるで何の石だか分からない。歴史を粗末に扱ってはいけない。
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2005/09/14 18:17 |
中山道を歩く<5>岩村田宿
時宗を開いた一遍上人が、この岩村田と関係深いと言う。滞在中、一遍は霊感を得て、踊り念仏を創始し、やがて、踊り念仏の時宗は、瞬く間に日本全国に波及していく。どうして、こんな古びた宿場町にと思えることが多々ある。龍雲寺の信玄霊廟もそうである。そこが歴史の面白いところで、中山道は都の文化を伝える動脈のような存在であった。また、都に向かう夢街道であったのかもしれない。どこの旧街道も取り残されているように見える。しかし、そこにはまぎれもなく、歴史を動かした人々の息遣いが刻まれている。
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2005/09/14 17:23 |
中山道を歩く<4>小田井宿
追分で分かれた道は、右に善光寺道(北国街道)左に中山道となる。ガイド本などによると時代に取り残された宿とあるが、何も商店街ができ、人で溢れることだけが時流に乗ったとは限らない。福島県の会津街道にそった宿場町で、大内宿がある。そこなどは、明治の新道開通のあおりを受け、陸の孤島のように取り残された。しかし、いま、そのことだけで、時代の遺物がそっくり残っていることで、観光客が訪れ、暮らしが成り立っている。旅は、ほっとする雰囲気が残っているのがいい。小田井は浅間山の眺めがいい。
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2005/09/14 09:26 |
中山道を歩く<3>追分宿
岩波文庫「菜穂子」(堀辰雄著)に「透明な高原の冷気が行間に漂うような純粋さと知的な美しさに魅了される」と書かれている。その冷気と文学的な風景が幾分ではあるが、残っているのが追分と言えるかもしれない。脇道のように取り残された旧街道を目的もなく歩いた。気がつくと堀辰雄文学館の前に辿りついた。文学館には、堀辰雄のゆかりのあれこれが展示されていた。書斎も庭の片隅に建てられている。瀟洒な洋館風の住居は西洋人で賑わっていた軽井沢の喧噪から遠い。萩原朔太郎、室生犀星、芥川龍之介、ルーベンスを思い出していた。...
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2005/09/13 10:33 |
中山道を歩く<2>沓掛宿
沓掛宿は軽井沢と追分の間にあって、ぽつんと置き忘れられたように存在している。駅名も中軽井沢駅で、沓掛は名前すら消されてしまった。名前が残っていれば、昔、このあたりは牛馬などと関係があったことも分かるものをと残念である。それでも沓掛から見る浅間山の姿は、軽井沢、追分、沓掛三宿の中でもことのほか美しく、トレッキングには楽しめる旧街道である。浅間山は千曲川を越えるあたりまで、その姿形を変えながらずっと旅人を楽しませてくれる。
(写真は山と渓谷社刊「小さな町小さな旅」より)
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2005/09/13 08:33 |
中山道を歩く<1>軽井沢
6月の終わりころ中山道の宿場町(軽井沢から下諏訪まで)を訪ねた。蒸し暑い旅だった。それでも時々吹き抜ける旧街道の風は心地よく、楽しめた。軽井沢の魅力は、喧騒を離れての散策にあると思う。江戸から明治、大正、昭和と、軽井沢を訪れた人たちがどんな時間を体感したのか、そんなことを想像しながら、あてもなく彷徨うのが面白い。写真は山と渓谷社刊「小さな町小さな旅」表紙
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2005/09/11 20:45 |